毛利玄得の子孫、毛利玄策は安政4年
(1857年)5月椋名村役人に願い文と
宿願文を提出している。

 『願い状』
私儀、年来宿願のすじ、ご座候につき、
法華経全部一字一石に書き写し仕り、御
村方のうち、立山(館山)仏崎の海辺へ
奉納仕り、その上へ、石像の波切不動尊
一体、安置仕りたく存じ候(以下略)

 『宿願文』
天下泰平 国家安全 風雨順時 五穀成就
往来諸人 海上無難 溺死聖霊 増長仏果


 参考:吉海町教育委員会 吉海の文化財
   
  
仏崎には観音さまの石像も安置されている。
 
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